リンクできない

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あーちょっと書いておきたい、というようなブログエントリを見つけて、引用したら一応リンクするんだろうと思ったのだが、相手先のブログのエントリを読んでいると、どうもこれは・・・領域がだぶっている。しかも学生。

自分と専門が同じということではなく、所属先にすごくいそうな雰囲気。下手すればすでにいる雰囲気。危険すぎて、リンクできない。かといって、所属先も何もまるわかりで日常生活ブログを書いている某先生ほどの勇気はとても出ない。少なくとも当面潜って様子見の予定なので、断念。

書きたかったのは実はまあどうでも良いことで、「手紙の宛先」をめぐる話に言及して「東浩紀の言うように」とあったので、ああそうか、と思った、ということ。

世代的あるいはジャンル的に、自分などにとってはそれはたとえばデリダラカン/ジョンソンという議論の中にある話なのだが、それを「東浩紀」という名前で持ってくる学生を見かけたのは、今年に入って3人目。さらに、今年読まされた論文では、それとは少し異なる文脈ではあるが「デリダ/東」というような表現で最後まで押し通すものがあって、しかもデリダ論的なことをしようとしている部分もあるのに、最後まで「デリダ/東」。

いや、もちろんそんなことを言い始めたら、デリダをちょこっと眺めてもお前その前の哲学わかってるのか、マルクスわかってるのかニーチェ読んだのかヘーゲルわかってるのかとか言われると、ごめんなさい全然ダメです、なので、「それは東じゃなくてデリダじゃないとダメだろ!」と言うつもりはないのだが(まあでも論文でデリダ論じててデリダ一冊も読んでいないのはさすがにダメだと思うけど)、単純に、ああ今は感覚が違うのだなあと思ったというだけの話。

「手紙の宛先」の話は、自分の世代だと「東」って言われてもちょっとびっくりするくらいに、当然のようにデリダとかラカンなので、そうか今の学生さんはそういう回路で来ているんだなあ、と。