ヒラリーの涙

Sour Tears
Photographer: ¤¤¤ a shot in the dark ¤¤¤
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スーパーチュースデーの結果はともかく、ヒラリーの涙が「また」クリティカルなタイミングで出たぜ!というのがちょっと話題になっていて、それが気になる。というより、あれは戦略か?真実か?みたいな切り口になるのが癇に障るというべきか。


真実ならばいいのか?良くないんだろ?真実だったら女は弱くてすぐ泣くからダメだ、というんだろ?じゃあ戦略ならいいのか?良くないんだろ?戦略だったら女は涙を使うからずるいとかいうんだろ?
と、思った人は(男女問わず)多いはず。なんとも飽き飽きするような伝統的ダブルバインド


あまりに気分が悪いので、どうせだから戦略でいいじゃないか、と思う。


もちろんあらゆるケースに敷衍することはできないが、一般的に言って、男性は採用できるが女性は採用できない、というような戦略、あるいはもっと日常レベルに引き落とせば「処世術」は、この世に満ちあふれている。下ネタで笑い合ってみせるとか(少なくとも男性を「たてる」下ネタでなければ素でどん引きされる)、気に入らない相手をちょっと恫喝してみせるとか(男性なら「いや豪快な人だね」くらいでスルーされることも結構多い)、ホモソーシャルな結束を固める小さい振る舞いの数々。


女性がそれぞれの場で「女性」に与えられたフィールドにとどまる限り、男性は採用できないが女性なら採用できるという処世術も当然あるわけだが(それこそ「泣き落とし」とか)、「男性」に与えられたフィールドにおいて活動しようとするならそれは許容されなかったわけで、そういうアンバランスが存在している以上、この際もう大統領選レベルで泣き落としでも何でもしてくれ、と。あえてそれを戦略として行うのであれば、いっそ気分がいいや。




さて、それはともかく、今日は一日雪が降って驚く。研究室が微妙に寒いのはどうにかならないかなあとも思うが、机を窓際から動かさない限り解決しないのかもしれない。基本的には提出論文を読み続ける。本当に時間かかり過ぎなのだが、英語論文でしかも専門がずれているので、自分がわかっていないのか、書き手がダメなのか、それとも書いてある内容はいいが英語がおかしいのか、そのあたりが少しずつ少しずつわからなくなって、一人混迷状態に突入。