そういえば自分がゲイならハッテンバがあるから相手が見つかるのにと言った異性愛フェミニストもいたけど

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女性の地位が確立してきて、キャリアウーマンでも専業主婦でもよくなってきた。しかし男性は稼ぐのが基本。男性は女性に比べれば受け入れられる幅が狭い。(中略)女性強者は男性弱者を養えと思う。(「秋葉原通り魔殺傷──「ある意味、バッシング万歳です」:OhmyNews!


赤木智弘氏の発言を目にする。実は氏の書いたものを読んでいないので、単にインタビューの編集が悪いのかもしれないが、やれやれ。

女性強者は男性弱者を養えの意味が良くわからない。社会保障制度の話であればジェンダー化せずに「経済的強者が弱者を」という話になるはずなので、おそらくこれは専業主夫させろという話なのではと推測。

専業主婦(あるいは主婦)の座を確保しようとする女性はそれなりの大きな賭けを伴う投資をしている(しばしばそれを強く促される)ことが多いと思うのだが、男性にも同様の投資をさせろということなのだろうか。

専業主婦を目指す女性は、多大な時間的・金銭的投資などなどを経て、しばしば心身の双方にストレスを溜め込みつつ、設定された時間内に「養われ先」を探す。成功しなかった場合、投資された時間や金銭はもちろん、ストレスを受けた心身、切り捨てざるを得なかった諸々のスキルなどの回復は著しく困難になる。そういう賭けを強いられているという点は、女性も男性も同じ(現状では多くの場合男性は「養う側」になるための賭けを強いられるというだけ)。

「養う側」に向かない男性が「養われる側」に転身することが難しいように、「養われる側」に向かない女性が「養う側」としてパートナーを探すことも、難しい。女性の場合、「養う側」としてやっていけるだけの社会的成功を得るために、なぜか「養われる側」に要求される諸スキルが上乗せで要求される(そうでなければ「受け入れ」られない)ことも多いのだが、それは別の話か。

気になるのは、「養われる側」の位置を確保するのも、それはそれで大変だということ。若さだ美貌だ「愛され」性質だ心根だ気遣いだ癒しだ笑顔だ家事だ料理だ、云々。しかも下手すれば「養ってやってる」とか言われるし。結構なハードルですよ。嘘だと思ったらやってみたらいい。だからこそ「養う側」だけしか選択できない側(男性)ではなく「養われる側」だけしか選択できない側(女性)の方からまず「おいおいちょっとどうにかしなくてはなりませんよ」という主張が出てきたのだろうし。

女性弱者を「養う」男性強者が長い間要求しつづけてきたように、女性強者が男性弱者を養うとしたら、同じように稼ぎがないなら、たとえば若くて見目麗しくて頭も性格も良くて癒し系で気も利いて女性のわがままも聞いてくれて、という男性から売れていく可能性は、多分にある。赤木氏は自信があるんだろうけど。

というわけで女性強者が男性弱者を(専業主夫として)養うことで総体としての男性弱者がうれしい思いができるようになるわけではない。当然の事だ。こちらの賭けでは負けそうなのであちらの賭け、というのではなくて、負けたときの回復を著しく困難にする形での賭けを強いられることそれ自体が問題だろう、とフェミニズムは言ってきたのだが、この人は何をしたいんだろう。

とはいえタイトルのこころは「同じくらい駄目」。

追記:あ、本でも書いていて、さすがにきちんと批判もされているのか。すっかり見落としていた。「いちヘルパーの小規模な日常」