スウィーニー・トッド

スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 特別版 (2枚組)

スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 特別版 (2枚組)

Seeney Todd: The Demon Barber of Fleet Street (2007) dir. Tim Burton

見なくてはと思って借りたホラー映画を見るのがいやで(怖そうだし)、手ならしというか目ならしに。

Butronの映画が特にすきだというわけではない。しかし、 The Nightmare Before Christmas (1993)は楽しかったし、Sleepy Hollow(1999)は夜間の公園での上映で見たせいもあってか結構こわかったし、Burtonのつくりだす絵それ自体は嫌いではない。この映画も、それなりにダークで少しホラーで絵が良くできていて、ということを期待して鑑賞。

しかしこれはどうかな。ミュージカル映画は好きだし、映像というより「絵」と表現したいような、何かフラットで、けれども描き込みと省略とのイレギュラーなリズムがある、Burtonの「絵がら」と、写実的なというか「現実的な」それとは明らかに違う時間の流れをもつミュージカルという形態とは、あっているはずだと思う。ただ、その組み合わせが、この映画の場合にはうまく機能していない気がする。

ホラーになるには絵がらのフラット感とコントロールのきいた印象が邪魔をしているように思うし(流れる血や暗い雲に覆われた空やロンドンの下水道などが映しだされているにもかかわらず、何か小ぎれいだ)、ダークなユーモアを醸し出すには演技も演出も妙にストレートだし、感情をかきたてるヒューマンドラマにするにしては脚本がいそぎすぎるし。

個人的にはJohnny Deppは芸達者だなとは思うがそれ以上ではなく、むしろHelena Bonham Carterの演じるMrs. Lovettが印象ぶかい。歌はひっどいけど。登場人物の中でいちばん下手なんじゃないか。

それでも、現実的なのだか夢見がちなのだかわからず、残酷なようでいてあっさりと情にほだされ(と思うとまたしてもあっさりと情を断ち切り)、すべてをなげうつような情熱に従いつつもきっちりと打算的で、Bonham Carterの演じるMrs. Lovettの、矛盾をそのまま抱え込んだ魅力は、目をひきつけるものがある。

それがもっとも強く印象づけられるのが、終止色あせたトーンですすむ映画のなかほど、Mrs. LovettがToddとTobyとの三人でのバラ色の「家族」生活を夢見る、そこだけひときわ明るい色彩で撮られたシーンだろう。彼女のそれまでの「常軌を逸した」行為となんとも凡庸で退屈な「海辺の家」のファンタジーとの対比の強烈さと言ったら(とりわけ海辺のボードウォークのシーンは、今でも英国のそこここにあるさびれた「ビーチリゾート」の数々を、苦笑いとともに思い出させずにはおかない)。そしてその常軌を逸した行為の背後にある打算(お肉がもったいないね)と海辺の家のファンタジーとをつなぐ小市民的とでもいうような感性と、そのような小市民的な感性から明らかにずれてしまった、彼女のなんとも「ゴス」な風貌との、組み合わせの奇妙さといったら。もちろん、そういう小市民的な感性があるからこその「ゴス」な表出ではあるのだが。

Sweeney ToddもMrs. Lovettも、表面的には社会に不満をもち、その不満が過激な形での規範の逸脱へとつながるキャラクターなのだが、実のところ両者はまったく違っているように思える。Toddの方は、要するに女を寝取られたこと、もともと「所有していたはずのもの」が「他の男に不当に領有された」ことに対して怒りを抱いているのであって、気の毒ではあるがそこには特に何の意外性もない。最後まで「愛する妻」と「復讐」しか念頭になくて、実に単調な人物だ。

それに対して、Mrs. Lovettは、何が不満なのかも明確になるわけではなく、Toddへの愛に促されているのは確かにせよ、それだけが行動原理というわけでもなさそうだし、彼女から受ける印象もそこに収束させきることができない。妻のいる男に強引におもいをよせ、そのおもいのためには節度も良識も法も平然とやぶってのけ、凡庸で規範的な「家族」のファンタジーをそれとはまったく異なる「家族」に上乗せしてその奇妙さを気にもとめないMrs. Lovettのセクシュアリティは、そもそもの最初から、舞台となるロンドンの規範をSweeney Toddなどよりはるかに過激に逸脱しかねない予測のつかなさを示している。

つまりMrs. Lovettはただしく魔女なのであり、だからこそ焼き殺されもするし、映画としても(もともとのミュージカルがそうなのだろうけれど、見ていないから知らない)彼女をきちんと葬り去ることになる。Mrsl Lovettは実にあっさりと殺されてしまって、正しい夫婦であるToddとその妻とをうつしだすラストシーン(それが「正しい夫婦」のネガであるとしても)に、Mrs. Lovettの居場所はない。

けれども同時に、Mrs. Lovettを殺したToddを殺すのは何があってもMrs. Lovettを守るよと約束した拾われ子のTobyであり(TobyはToddにとってはあくまでも取り替えのきく使い走りだが、Mrs. Lovettのファンタジーにおいては家族の一員である)、非常にねじれたかたちではあれ、ある意味でそれは、Mrs. Lovettの夢想したクィアな家族が、Toddの「正しい夫婦」を生き延びた瞬間であるとも言えるかもしれない。そして、たとえ最後に焼き殺されてしまうとしても、血の色以外はほとんどがうすいグレーのベールをかけたようにくすんだこの映画の世界において、それをいきなり突き抜けるファンタジーを現出させる力をもったこの「魔女」の魅力を、誰が忘れることができるだろう。